朝4:00に起床。 昨日のスペイン戦のVTRを見ながらまどろむ。 折角の休みなので一人で青春18切符で出掛けることとする。 この数日間プランを練ってみた。 単純に鉄道旅行に特化すると、飯田線か高山線、紀勢本線、敦賀辺りになる。 7/28はなでしこの試合があり、20:00kickoffである。 18:00頃帰宅しシャワーを浴びて、観戦準備をしなければならない。 自分も含め青春18期間は、東海道線、高山線辺りは、贅沢ながら人が多く、 私の鉄分補給には、ベストではない。 結局、紀勢本線狙いとなるが、利用する列車が限定されるので、プランを組みにくい。 私の最寄駅からだと、多気駅9:43新宮行しか選択肢がない。この場合、年寄りには、 出発時間が遅すぎる。 最寄り駅から、始発に乗る。
亀山駅で伊勢市行に乗り換え、
多気駅で数時間待ちではつまらないので、
空いた時間で伊勢市に向かうこととする。 とはいえ、最寄駅から亀山経由で伊勢市へ向かうのは初生まれて初めてである。 近鉄の普通列車利用よりも時間がかかるのではないか。 外宮へ参拝するのは、15年振りぐらいだと思う。 以前は、外宮より内宮の気持ちが強かったと思う。 年をへて、再度伺うと、以前とは違った印象を持つ
朝8:00過ぎなんで、参拝客は少ない。
逆に厳かな雰囲気となる。
新しくできた せんぐう館は、こんな感じ。
神宮司庁の散水車。
年を経ると、以前とは同じ事に安心感を覚える。 極端な例えだと、いつも自分を待っていてくれる気がする。 若く幼い自分は、伝統という言葉が嫌いだった。 学生のころ、岡本太郎氏の「伝統とは当時革新的で良いと受け入れられたものが伝統となった。
単に伝統を守るだけでは意味はない。常に革新的でなければならない。」に感動した。 (かなり原文と違った言葉かもしれない。解釈は合っていると思いたい。) 結局矛盾するのだが、年とともに波瀾万丈の人生からすると、
いつも同じスタンスで受け入れて頂ける場所、空間というのは、貴重であると
認識する。伊勢神宮というのは、それに値すると感じた。 個人的に思うに、参拝されるかたを拝見させて頂くにつれ、 伊勢神宮は、観光知的側面から本来の宗教的立場を取り戻しつつあるように思う。 いつも変わらぬスタンスで受け入れてくださる神様に対して、 老いつつ変わっていく自分に、勇気を与えてくださる存在のような気がする。 そういう思いを抱きつつ、伊勢市へ戻る。 伊勢市駅からの門前町を初めて通る。
外宮から、伊勢市へ着き、自分としては、お酒を飲んで良かろうとの判断で、 伊勢市のキオスクでビールを購入し飲む。 快速みえで多気へ向かう この伊勢市-多気間を快速みえで多気へ向かう。
あっという間に多気へ到着。 多気で新宮行9:43発へ乗車。 それなりの混雑で、ボックス席を独り占めにはできない。 青春18シーズンなので、着席できればよしとする。
同じ歳位の一人男性客が多い。 自分を含めみんな寝ている。 やまあいを抜けていく車窓は、素晴らしいものがあるのだが、もったいない気がする。 そうこうしている間に紀伊長島へ到着。 列車は、紀伊長島で30程停車する。 社外にでる旅行客も多い。
私の予定では、紀伊長島では、2時間程の時間がある。 紀伊長島駅近くのスーパーへ向かう。 家へのお土産とする刺身の下見である。 25cm程のおおきなアジが売っているが、生きていている。 ここでもビールを購入し、飲みながら海へ向かう。 海は綺麗である。
非常に暑い日であり、へたへたになるが、漁港へ向かう。 当日は、紀北町の夏祭り:きほく燈籠祭で、提灯が至るところにある。 歩いた道は、古くからある街道筋である。 昔から営業されているような商店、今は廃業してしまった商店など、 それぞれの店構えから、そのお店について想像を巡らせる。
*帰ってから調べると、趣深いお祭りのようで、花火も含め
きちんと見てみたいものである。もっと下調べしておくべきでした。
漁港では、花火の場所取り、屋台の準備など暑いなか忙しそうだ。 途中、灯籠に書かれた言葉にしんみりとする。 サッカー少年だろうか?
歩くだけで時間が掛かり、スーパーで買い物をする。 結局、烏賊とビンチョウマグロの刺身を購入する。 さらに、ビールを購入する。 帰りの多気行の列車に乗り込む、
この時間帯は、さすがに空いており、ボックス席を独り占めする。 うたた寝をしている間に、多気へ到着。
ここから、津までは、快速みえに乗車。 松阪、津、伊勢市、桑名は、近鉄、JRの共同使用駅なので、 青春18シーズンのアナウンス、告知は、以前にくらべ、徹底している。
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