2011年12月30日金曜日

12/30:池田市五月山公園,大阪大学 明道館裏BOX

大阪島本町へ母を姉住む大阪府島本町へ自動車で送る。
新名神へ入ると、雪が舞う天気。
渋滞もなく島本町へ到着。 最寄駅の阪急上牧駅前は、確かに大きく変わっている。
母を送った後、171号線で箕面市小野原の王将でご飯を食べる。
学生時代、毎日のように通った店である。その当時に比べ、
垢抜けているし、味も美味しい。
言い方を変えれば、王将らしくないかも。 天津飯の味付け、餃子の焼き加減はうまくできている。
20年ほど前は、若くて飢えた私でも、微妙な味だった。
しかも、店長一人が切り盛りして大変そうな感じだった。





























小野原から大阪大学吹田キャンパスを通り、万博公園外周道路を回る。
 小野原あたりは、ずいぶん変わっている。 20年ほど前は、店はあるものの
寂しい感じもあった。
本音を言えば、工学部出身夫婦とすれば、吹田キャンパスを歩きたいところだが、 駐車場が近くになく、自動車から様子を見るにとどめる。
万博公園外周道路から太陽の塔をみることができる。
学生時代、岡本太郎氏の本を一生懸命読んだ私としては、 非常に感慨深いものがある。 中央環状線で豊中からR176で池田市五月山公園へ。 小さな動物園だが、微妙に人が多いのは、万博公園など閉園中だからから
だろうか?




















池田市から、阪急石橋駅ちかくの駐車場を利用し、
石橋駅商店街を歩く。

阪急宝塚線ガード下の王将。ここも何度も通った。
当時よりは、最近の王将らしく、小奇麗になっている。
ただし、ガード下にある小さな王将の雰囲気は、 おじさんの趣味からすると理想的。















養老の瀧があったと記憶しているが、なくなっている。



阪急石橋駅前、このあたりの雰囲気はあまり変わらない。
店のおばちゃんと常連客の「さすがに年の瀬やなあ 人が多いわ」の
言葉に、なぜか和んでします。










2/11:追記(案外、参照が多く、うれしいです。)

帰り際に、石橋記念にと、不二家で買い物をしました。

石橋で不二家と言えば、みなさんの記憶にあるであろう。
石橋駅東口の近くの不二家ミルキーロールケーキを買って帰りました。
私の記憶では、25年前でも昔からやってます感いっぱいの不二家だった気がする。

うれしいことに、現在でも、そのオーラは全開で営業中だった。
久しぶりに行った店が、ミョーに小洒落いると自分だけ取り残されたようで寂しいものである。


ロールケーキを包んでもらっている間に、
不二家のおばちゃんに「ここってずいぶん長いことされてますよね」 と話しかけると。
「関西でも1,2争うぐらい長いことなってる不二家なんですわ」とのこと。
(答え方からして、よく同じことを言われる様子)


不二家の先客の方は、お若い留学生夫婦の方のようで、奧さんはブルカをまとわれている。
ケーキをご購入のようで、ケーキには、wedding 1st year (記憶曖昧) のチョコ板が
あつらえてある。 ケーキは、学生らしく慎ましやかな大きさである。

自分の学生時分のケーキは小さかったなあと、勝手な想いで自分を重ね合わせる。
(ただ、断言できるのは、ケーキの大きさは同じでも、私より留学生の方の方が勉強が
できることだろう。)

そんなことを数秒の間に巡らせながら、
おじさんの脳内では、「これでおいしいもの食べなさい」といってお金を手渡そうかと
思うほどであった。
とはいえ、その瞬間に、所詮背伸びしても自分は、金満日本人おじさんがやっとなんだなあ。
と悟るのでした。

後から思うに、留学生夫婦のケーキがミョーに大きかったりすると、
「最近の若い人はお金持ちでうらやましいなあ、自分の若い頃は・・○×△○×△以下省略」
と呟く自分がいるのは、間違いないのである。

結局、私の人間の器は小ささを思い知らされたのだった。

(追記終わり)




阪急電車:阪急といえば、阪急マルーン、中の写真はないけれど、木目調の内装に、よろい戸の日よけが目に浮かびます。 (調べると、すべてがよろい戸ではないようです。 寂しいなあ)


















大阪大学豊中キャンパス へ向かう。

写真は、明道館裏の裏Box跡のもの。
自分が学生の頃、この場所には裏BOXなる部室群があった。
明道館に部室を持てなかったクラブが、勝手に部室を作ったらしい。
今思えば、なぜか電気が来ていた。大学黙認みたいだったので、
昔は大らかだったのだろうか。 
あんな掘立小屋で、飲んだり、語り合ったり、よくやったものである。
夏は蚊が多く、冬は寒かった。

今見ると、 まさに「夏草や兵どもが夢の跡」のような感じ。

写真に見える電源ケーブルは、当時のものなのだろうか?
もしそうだとするとそれだけでも感涙ものなのだが・・・・。

































今は、下のような部室が与えられてようだ。
残念ながら、私の在籍したクラブは、廃部になってしまい、部室もない。

PACは、ポピュラーアートクラブの意味。実は半年ほど在籍した。
掛かっているPACの看板は、当時と変わっていないように思う。
ただ、今では単なる陶芸部みたい。

隣のせせくらせも変わっていないように思う。
せせくらせの方の発音練習「あめんぼあかいなあいうえお」は、
今でも頭にこびりついている。

















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