2012年8月17日金曜日

8/12:えびの高原荘 宿泊

午前3時頃目が覚めたりしたが、再び眠りにつき、目が覚めると朝7時であった。 
 
 
 
 




 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
オリンピック中継を見たりしていると志布志港へ入港着岸。

下船は、同乗者と一緒にできるとのことで、4Fから最低階の1Fへ階段へ下りる。
とにかく、自動車が詰め込みられている。
(といっても自動車運搬船ほどではないが・・・)

志布志港は初めてである。ここから目的地であるえびの高原へ向かう。
お兄ちゃんにナビを頼むとタブレットではなく、紙の地図を見て案内してくれる。
志布志港には、目的地案内の看板がすぐには無く、
自分を含め自分の臨県ナンバーの自動車が
立ち止まり地図を確認している。

しばらくすると都城への方向表示があったので、お兄ちゃんに確認して頂き、
都城へ向かう。
程なくすると都城市内を通過。イメージとしては最もこじんまりとした
歴史の街だったが、普通のおおきな街であった。

都城を抜け途中、関之尾滝を見物する。子供が少し疲れているようで、
滝壺まで見に行くことは出来なかった。
関之尾滝に隣接する道の駅で、実演販売している、地鶏の焼き物、じゃこ天を購入する。
じゃこ天は、四国で食べたものよりかまぼこに近い感じで、くせは少ない感じ。
 
 妻から聞くと、この道の駅には、スコールのマンゴー味が
販売されていたとのこと。スコールといえば、先月阿部礼二で、
阿部礼二、シーマ耕作が賛同していたように、
炭酸の乳酸飲料の草分け。子供のころ炭酸飲料を買ってもらえなかった自分に
とっては夢の味の飲み物である。
確か、小学校のころ、児童会の仕事をしたときに先生から、
近くの駄菓子屋でジュースを買って頂いた。
その時、自分はスコールにしてもらった。
スコールはいつも通り美味しく。飲む度に、飲む量に応じて減っていく
スコールを瓶の横から残量を確認しながら飲んでいた。
先生はその姿を目敏く?見つけ、
「**君は、瓶を振ってスコールを増やして飲んでいる」と言われた。
個人的な、恥ずかしいような懐かしい思いである。
(その後、児童会の役員でありながら掃除をサボり、
その先生にビンタされて泣いたのは、
 先生と私だけの秘密のはずである。)

今の人には解らないであろうが、スコール話で脱線したが、
当時の「愛のスコール」のCMに
も懐かしさ百倍である。子供心に、わたしは、「スコールって宮崎の飲料だ」
とウンチクを語ったわたしである。
宮崎に来たなら、スコールは何としても飲まねばならないと誓う。
個人的には、阿部礼二、シーマ耕作も自分と同じ様なスコール思い出があったのは、
嬉しいかぎりである。(宮崎でTVを見るかぎり、愛のスコールCMを見ることが
出来ないのは非常に残念である。)

えびの高原へ向かうにつれ、雨、霧がひどくなる。時折、徐行しないと危険を
感じるほどの霧は生まれて初めてである。
しかも、お昼だというのに、夕暮れ時ぐらい薄暗い。
天候を考慮し、当日は、宿泊先である「えびの高原荘」へ向かう。
途中、霧の影響もあり、行き過ぎたりしたものの、えびの高原そうへ到着するよう。
雨は降り続いているが、涼しくさわやかである。想像通りの場所で安堵する。

チェックインの時間までロビーで待たせていただく間、風呂に入らせて頂く。
お湯は、硫黄分よりも赤錆分の多いような温泉である。
それはそれで、至福の時間である。 

 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

















 
 
 
 
 

 
 
 


















天候は、改善せず、霧の中である。
久しぶりに2時間程、サウナに入ったりして、夕食を頂く。


















 夕食後、天候がよければ、ペルセウス座流星群を観察する予定であったが、
このような霧の中であった。
但し、夜の霧の雰囲気はよかった。 しばらく、雰囲気を楽しみ、就寝。 
  
 




















   
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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