午前3時頃目が覚めたりしたが、再び眠りにつき、目が覚めると朝7時であった。
オリンピック中継を見たりしていると志布志港へ入港着岸。 下船は、同乗者と一緒にできるとのことで、4Fから最低階の1Fへ階段へ下りる。 とにかく、自動車が詰め込みられている。
(といっても自動車運搬船ほどではないが・・・) 志布志港は初めてである。ここから目的地であるえびの高原へ向かう。 お兄ちゃんにナビを頼むとタブレットではなく、紙の地図を見て案内してくれる。 志布志港には、目的地案内の看板がすぐには無く、
自分を含め自分の臨県ナンバーの自動車が
立ち止まり地図を確認している。 しばらくすると都城への方向表示があったので、お兄ちゃんに確認して頂き、
都城へ向かう。 程なくすると都城市内を通過。イメージとしては最もこじんまりとした
歴史の街だったが、普通のおおきな街であった。 都城を抜け途中、関之尾滝を見物する。子供が少し疲れているようで、
滝壺まで見に行くことは出来なかった。
関之尾滝に隣接する道の駅で、実演販売している、地鶏の焼き物、じゃこ天を購入する。 じゃこ天は、四国で食べたものよりかまぼこに近い感じで、くせは少ない感じ。
妻から聞くと、この道の駅には、スコールのマンゴー味が
販売されていたとのこと。スコールといえば、先月阿部礼二で、
阿部礼二、シーマ耕作が賛同していたように、 炭酸の乳酸飲料の草分け。子供のころ炭酸飲料を買ってもらえなかった自分に
とっては夢の味の飲み物である。
確か、小学校のころ、児童会の仕事をしたときに先生から、 近くの駄菓子屋でジュースを買って頂いた。
その時、自分はスコールにしてもらった。 スコールはいつも通り美味しく。飲む度に、飲む量に応じて減っていく
スコールを瓶の横から残量を確認しながら飲んでいた。
先生はその姿を目敏く?見つけ、 「**君は、瓶を振ってスコールを増やして飲んでいる」と言われた。 個人的な、恥ずかしいような懐かしい思いである。 (その後、児童会の役員でありながら掃除をサボり、
その先生にビンタされて泣いたのは、 先生と私だけの秘密のはずである。) 今の人には解らないであろうが、スコール話で脱線したが、
当時の「愛のスコール」のCMに も懐かしさ百倍である。子供心に、わたしは、「スコールって宮崎の飲料だ」
とウンチクを語ったわたしである。
宮崎に来たなら、スコールは何としても飲まねばならないと誓う。
個人的には、阿部礼二、シーマ耕作も自分と同じ様なスコール思い出があったのは、 嬉しいかぎりである。(宮崎でTVを見るかぎり、愛のスコールCMを見ることが
出来ないのは非常に残念である。) えびの高原へ向かうにつれ、雨、霧がひどくなる。時折、徐行しないと危険を
感じるほどの霧は生まれて初めてである。
しかも、お昼だというのに、夕暮れ時ぐらい薄暗い。 天候を考慮し、当日は、宿泊先である「えびの高原荘」へ向かう。 途中、霧の影響もあり、行き過ぎたりしたものの、えびの高原そうへ到着するよう。 雨は降り続いているが、涼しくさわやかである。想像通りの場所で安堵する。 チェックインの時間までロビーで待たせていただく間、風呂に入らせて頂く。 お湯は、硫黄分よりも赤錆分の多いような温泉である。
それはそれで、至福の時間である。
天候は、改善せず、霧の中である。久しぶりに2時間程、サウナに入ったりして、夕食を頂く。
夕食後、天候がよければ、ペルセウス座流星群を観察する予定であったが、
このような霧の中であった。
但し、夜の霧の雰囲気はよかった。 しばらく、雰囲気を楽しみ、就寝。
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