3日目にして初めて、時より晴れ間の見える天候となった。
相談の結果、私とお兄ちゃんが硫黄山から韓国岳へ上り、妻と長女は、硫黄山と
えびの高原エコミュージアムへ向かうこととなった。
韓国岳は、1,700m程の標高で、結構高かい山だと思うが、上り始めは1,200mなので、
標高差500mと思い、頑張ることとする。
実際登ってみると、上り道ばかりなので、息が切れる。
お兄ちゃんも途中でお疲れモードとなった。
がんばって、山頂へ到着。 結果60分の道程であった。
山頂からは、韓国岳の噴火口、右手には最近噴火した新燃岳が見える。
この韓国岳も7月15日から入山規制が解除になったばかりである。
新燃岳からは、噴煙が見える。直線距離にすれば、3kmほどではないだろうか?
周りの方は、昼食を摂っておられるが、私たちは、妻が時間を余らせているはずなので
急いで下山しなければならない。
急いで下山していくものの、疲れは、足に蓄積しており、転びかけ、ついた指をくじく。
なんとか40分ほどでは下山。
当日見る限りは、親子3世代登山が多いよう見えた。九州の方は、元気なようだ。
韓国岳山頂への道筋は、迷う場面もなく、安定した道筋である。
帰りは、標高数はわずかであるが、硫黄畑跡がある硫黄山へ登る。
硫黄の採掘が1962年まで行われていたそうで、廃鉱跡が好きな私にとっては、
興味深い。個人的にネットで硫黄採掘から抽出?の工程を調べてみたが、見つからなかった。
硫黄畑の跡は、解るものの、どのように使用したかが、解らなかった。
お兄ちゃんは疲れて登りたくないと言われたのだが、ちょっと登るだけだからと
懇願し一緒に登ってもらう。
昭和5年とある墓石を拝まさせて頂く、この墓石のいわれなどは全くわからない。
だだ、多くの方の連名が刻んであるようである。
硫黄畑の周りの痕跡を写真に撮り、ホテルへ戻る。
時間がよく、昨日取りそびれた昼食をホテルのレストラン「あかまつ」で頂くこととする。
折角なので、宮崎地鶏の南蛮焼き、宮崎地鶏の蕎麦、宮崎地鶏の親子丼を頂く。
どれもとても美味しいものであった。蕎麦(暖かい蕎麦)の出汁は、鳥ガラの塩味でとても美味しい。
個人的には、日本中この蕎麦出汁でもいいかと思う。
ゆっくり食事をしながら、先程登った韓国岳を眺める。
そして、志布志港へ向かう。
帰り道、スコールを購入し志布志港へ向かう。
行く途中は、霧で周囲の様子が解らなかったが、天候がよくなり、帰り道では、周囲の様子も解る。
久住も良いところだと思うが、えびの高原、霧島高原もとても良いところだと思う。
特にえびの高原は、静かさ,涼しさは、格別である。
途中、霧島温泉や滝を見ながら、志布志港へ向かう。
時間通り志布志へ到着するよう。スーパーで買い物をするため立ち寄る。
志布志駅が近くにあるので撮影。
この先、国鉄民営化時に廃線となった路線があるようだが、自分の頭に、ほぼ記憶はない。
今では、1本/2時間程度の路線となっている。 いつか青春18切符で回って見たいものである。
当日はかなり暑く、わずか数日とはいえ、1200mの高原から来た者には、厳しい暑さである。
フェリーの乗船手続きを終え、乗船する。帰りの便でも紙テープ投げができるとのことで、
見学する。
印象的なのは、お別れのプラカード持った子供達である。
ああいうのを見ると船上の当のお別れのご本人を見たいのであるが、見つけられなかった。
ただ、無関係であるものの、もらい泣きされている御婦人がおられた。
翌朝、大阪南港へ到着。暑い中、残念ながら帰宅の道へ。
また、がんばろう。
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